三菱製紙専用線


概要

野田駅と三菱製紙・レンゴー大阪工場を結んでいた貨物線である

昭和28年に大阪市場線から分岐する形で此花区大開にあった三菱製紙浪速工場まで専用線が敷設された。

主な取扱貨物は三菱製紙とレンゴーのパルプ原料や紙製品、
旭硝子などの周辺工場の原料や製品だった。
昭和59年、国鉄の貨物合理化で廃止となった。
専用線は旭硝子(現在跡地にはコーナン大開店が建っている)
あたりまで延びていたようだ。


年表

昭和28年(1953)開通

昭和41年(1966)三菱製紙浪速工場閉鎖

昭和59年(1984)国鉄の貨物合理化により廃止

 


地図

昭和54年(1979)09月11日撮影 撮影高度2100m  撮影縮尺1/10000 

出典:国土地理院ウェブサイト(http://www.gsi.go.jp/


廃線跡探索

(1)大阪市場線分岐点

大阪市場線が環状線と交差する手前あたりが

三菱製紙専用線の起点だった。

 

大阪市場線もすでに廃止され、

梅田貨物線から分岐して地上へ降りていた

高架橋は保線用の通路となっている。

 (大阪市場線はこちら

    大阪市場線高架橋(A1地点)

大阪市場線から分岐した線路はしばらく

環状線と並行していた。

敷地は売却され、跡地には建売住宅が建った。

 

 

 

 環状線との並行区間跡に建っている住宅(A2地点)

 一部は駐車場となっている(A3地点)

(2)福島区吉野~北港通

専用線はここで環状線と別れて南へカーブする。

 

 

      カーブ地点(B-1地点)

ネットで調べるとどうやらこのマンションが廃線跡らしい

     マンション(B2地点)

フェンスが線路跡のカーブを

なぞるようにして曲線を描いている

 

 マンション敷地のフェンス(B3地点)

住宅街の中に廃線跡が点々と残っている

 

道路脇左側、空き地のようにに見えるのが

廃線跡

   住宅街の中の廃線跡(B4地点)

ネットで調べるとこのあたりに

小規模な貨物ヤードがあったらしい。

 

ここでスイッチバックする形で

環状線の高架沿いにあった敦賀セメントへ線路が引き込まれていたようだ。

 

この先、廃線跡は右側の社会福祉法人の

建物に取り込まれる

 

 敦賀セメント引込線分岐点(B5地点)

敦賀セメント跡地には印刷会社と

マンションが建っている。

   敦賀セメント跡地(B6地点)

廃線跡は西野田ポンプ所と道路の間を

通過していた。

ここも跡地は住宅が建っている。

   西野田ポンプ所付近(B7地点)

廃線跡はカーブを描きながら

市道と並行する

 

     吉野5丁目付近(B8地点)

北港通との交差地点

赤い屋根の住宅と後ろのマンションが線路跡。

     北港通との交差地点(B9地点)


(3)北港通~レンゴー大阪工場

ここで廃線跡は三菱倉庫の構内へ

取り込まれる

トラックが止まっている場所が廃線跡

      三菱倉庫前(C1地点)

三菱倉庫の敷地を過ぎると

市道を斜めに横断していた。

   正連寺川北岸線との交差地点(C2地点)

廃線跡はニチユMHI近畿の敷地内の

構内道路にそのまま転用されている

    ニチユ敷地内の線路跡(C3地点)

廃線跡は高見公園の敷地に取り込まれている

 

 

       高見公園(C4地点)

かつての三菱製紙の建物は福山通運となっている

 福山通運(旧・三菱製紙大阪工場)(C5地点)


公園から見ると工場の塀が途切れている場所がある。
線路はここからレンゴー大阪工場の構内へ引き込まれていた。

  レンゴー大阪工場引き込み口跡(C6地点)

正門から中をのぞくと荷役ホームの屋根が

そのまま残っているのが見える。

レンゴー大阪工場に残る荷役ホーム屋根(C7地点)

専用線の終端は旭硝子との境界線だったようだ。
旭硝子のあった場所はコーナン大開店の敷地となっている

      専用線終端付近(C8地点)