大阪市場線


概要

野田駅構内で梅田貨物線から分岐し、大阪中央卸売市場まで結んでいた1.5キロの貨物線である。

取扱貨物は日本各地からの中央市場への水産物・青果などだった。
そのため到着貨物がほとんどで、ほとんどか片道輸送だった。

しかし、トラック輸送の発達で取扱量が激減したことや国鉄貨物の合理化により、
昭和59年(1984)1月、野田駅の構内側線の扱いとなり、
翌年の昭和60年(1985)3月限りで廃止された。


年表

昭和6年3月 大阪中央卸売市場が開場。
昭和59年(1984)1月、国鉄の貨物合理化に伴い、野田駅の構内側線の扱いとなった。
昭和60年3月、廃止。


地図

昭和54年(1979)09月11日撮影 撮影高度2100m  撮影縮尺1/10000

出典:国土地理院ウェブサイト(http://www.gsi.go.jp/


廃線跡探索

大阪市場線は野田駅構内で梅田貨物線から分岐して地上へ降りる
高架橋は保線用の通路となっている。
地上へ降りた地点で三菱製紙専用線が

分岐していた
(三菱製紙専用線はこちら

                      大阪市場線高架橋(A地点)

三菱製紙専用線を分岐すると環状線と斜め交差して市道を横断する。

昭和44年(1969)までは市電と交差していた。

 

中央市場への貨物入線時には野田駅から

職員が自転車でやってきて

踏切の上げ下ろしをやっていたという。

    市道桜島守口線交差部(B地点)

市道から先の区間は野田緑道となっている。

 

       野田緑道(B地点)

市場への貨物列車が行き交ったこの場所も

現在では地域住民の憩いの場となっている。

 野田緑道(中央市場手前)(C地点)

 

しばらく緑道区間が続いた後、

線路跡は大阪市中央卸売市場構内へと入る。

 

中央市場は整備事業により建て替えられ、

当時の面影はない。

構内には「て」の字型に線路が敷かれていた。

 

      中央市場構内(D地点)