尼崎海岸線


概要

阪神本線出屋敷を起点に東浜までを結んでいた1.7キロの支線である。
 昭和4年(1929)4月14日に出屋敷~東浜間が開通した。
この路線は阪急に対する防衛策として計画され、大正13年(1924)に

特許を受けた今津出屋敷線(出屋敷-中津浜-今津)の一部だったが、

尼崎海岸線と甲子園線の一部として開通した浜甲子園-中津浜間(戦時中に休止)

以外は未成線となっている。
 

また、戦時中に武庫川線との接続計画があり、一部工事が進められたが
終戦で工事は中止となった。

 

しかしもともと乗客が少ないうえに、第二阪神国道建設にあたって交差部が問題となり、

昭和37年(1962)12月1日に廃止となった。
 (これに対する補償として建設されたのが現在の尼崎センタープール前駅である。)

 

高州-東浜間は地盤沈下による浸水の影響で昭和26年から休止状態となっていた。
末期には架線柱だけが残る状態だったという。

 

未成に終わった中津浜-今津間は昭和35年(1960)4月15日、

(休止区間だった高州-東浜間もこの時に廃止された。)

東浜(西高州)~浜甲子園間と武庫川線未成区間の洲先-西高州間は
昭和45年(1970)11月にそれぞれ免許失効(起業廃止)となっている。

戦時中の休止区間だった浜甲子園-中津浜間も昭和48年(1973)9月に廃止されている。

 


年表

大正13年(1924)5月19日 今津出屋敷線として出屋敷~今津間特許

昭和4年 (1929)4月14日 出屋敷~東浜間開通

昭和26年(1951)7月19日 高州~東浜間休止

昭和35年(1960)4月15日 高州~東浜間廃止・中津浜-今津間免許失効(起業廃止)

昭和37年(1962)12月1日 出屋敷~高州間廃止

昭和45年(1970)11月5日 東浜(西高州)~浜甲子園・洲先-西高州間免許失効(起業廃止)

昭和48年(1973)9月26日 浜甲子園-中津浜間(甲子園線の一部・戦時中休止区間)廃止

 


地図

 撮影年月日  昭和36年(1961)6月19日 撮影縮尺 1/10000

出典:国土地理院ウェブサイト(http://www.gsi.go.jp/


廃線跡探索(2013‎年‎1‎月‎26‎日取材)

尼崎海岸線のホームは南側(浜側)にあった。

本線も高架になり、全く面影がなくなっている。

 

         出屋敷駅

尼崎海岸線は出屋敷駅を出ると

南へ急カーブしていた。

国道43号(第二阪神国道)までの線路跡は

公園となっている。

 

架線柱の基礎が公園内に一部残っている。

 

 

       線路跡の公園

国道43号(第二阪神国道)交差部

この部分の立体交差問題が尼崎海岸線廃止の直接の原因となった。

  国道43号(第二阪神国道)交差部

取材当時(2013年1月)は

線路跡を取り込む形でロジステックセンターの

工事中だった。

 

 

 

   ロジステックセンター工事現場

国道43号を過ぎると南東に進み

県道341号線と並行する

 

廃線跡の一部は尼崎市バスの転回所と

なっている。

 

 

     尼崎市バス転回所

高州駅を含む県道341号線との

並行区間は廃止後に道路拡幅が行われた

 

高州駅があったあたりに尼崎市バスの高州バス停が立っている。

 

 

 

 

 

       高州駅跡

 

高州~東浜間は昭和26年7月に休止

昭和35年4月15日に正式に廃止された

横は関西電力の発電所

末期の頃になると、線路も撤去され

架線柱だけが高州から東浜まで

続いていたという状態だったという。

         東浜駅跡